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Little Big Field リトル・ビッグ・フィールド

アメリカ映画 (1994)

ルーク・エドワーズ(Luke Edwards)主演の野球映画。子役で野球と言えば、リトル・リーグを思い浮かべるが、私の少ない知識でも、子供がメジャー・リーグで活躍する映画は2本しかない。1本がこの映画、もう1本が1993年の『がんばれ!ルーキー(Rookie of the Year)』である。ほぼ同時期に製作されているのが興味深い。「がんばれ」がピッチャー、本作が何と監督としての活躍である。絶対にあり得ないことを、何とか理屈をつけて、あたかもホントらしく見せてしまうのがハリウッドのマジックだが、この野球映画もその典型か。

ルーク演じるビリーは、父を亡くしたお母さん子で、祖父がアメリカン・リーグのミネソタ・ツインズのオーナー。因みに、ツインズについては1998年に『メジャーリーグ3(Major League: Back to the Minors)』という映画も作られているが、こちらは大人の映画(当たり前か)。ビリーは祖父の薫陶よろしく野球史に詳しい少年に育っている。しかし、ツインズは毎年最下位。選手にやる気がないのと、監督が悪いからである。その年のリーグ戦が始まって間もない5月、突然祖父が他界する。そして、遺言でビリーをツインズのオーナーにしたのだ。オーナーくらいなら、まだ問題はなかったが、あまりにひどい監督の選手指導に(丁寧に)改善を頼んでフンフンと言うだけ、大型トレードも潰され批判すると、監督は過剰反応。怒ったビリーは弾みでクビに。さっそく新監督を探したが、少年オーナーの下ではなり手がない。同級生の勧めで、その気になったビーは、史上最年少の監督となる。果たしてそんなチームはどうなるか、そして優勝の行方は。そしてビリーの人生は。

ルーク・エドワーズの顔を映画で見たのは1989年の『スウィート・ロード(The Wizard)』が初めてで、その時は何と不細工なチビだと思ったものだ。彼は今でも映画俳優を続けているが、本作が子役としては最後の出演作だ。変なガキも、味のある子役に育っている。一番見栄えのする作品であろう。役の上では12才だが、実際は撮影時14才くらい。


あらすじ

ビリーは野球が大好きな12才の少年。それも、昔、名選手がどんなプレーをしたか、という細かまことまで全部覚えている。ある試合で、3塁走者がホームベースへ走ったら、球が返球されて慌てて3塁へ。しかし、そこには2塁から走ってきた子がもういて、さらに1塁から走ってきた子が滑り込んで3人が揃うという椿事が。そんな時、ルールに疎いリトル・リーグの審判がいつも頼りにするのは、生き字引のようなビリーだった。
  

ビリーは、小さい頃父を亡くしたため、おじいちゃん子だった。ミネソタ・ツインズのオーナーだが気さくな祖父は、ビリーと野球クイズをするのが楽しみだった。それも、すごく高度な内容だ。ビリーが「メジャー・リーグでプレーした最初の黒人選手は?」と言うと、「ジャッキー・ロビンソンと答えると? だが、そうはいかん。トレドのフィリート・ウォーカー。1884年のことだ」。「おじいちゃんには、敵わない」とビリー。息がぴったり合っている。
  

しかし、それから間もない日、ビリーが家に帰ってくると母が泣いている。祖父が急に亡くなったのだ。弁護氏の事務所に呼ばれて、祖父が予め用意しておいたラスト・メッセージの入ったビデオを見る母子。その中で、祖父は驚くことを話し始めた。「ビリー、お前は最高の友達だった。そこで、私の一番大切なものを譲りたい。ミネソタ・ツインズだ」「私がこうするのは、お前を信じているからだ。お前は野球を愛し、野球をよく知っている。他の誰よりもだ。私は、少しも心配していない。お前を信頼している」。
  

オーナーになったビリーは、前々から今の監督のやり方が気に入らなかった。何でもかんでも怒鳴ればいいという方針で(というか、個性で)、選手も離反していたからだ。そこで、球場での練習中に恐る恐る言ってみる。「オファレルさん。思うんだけど、選手を怒鳴り過ぎてません? あまり いいことじゃないと…」。しかし、監督は馬耳東風だ。次のラウンドは、ゼネラル・マネージャーが進めていた大型トレードが、監督の反対でつぶされた時。マネージャーに対し、「俺は、奴が欲しくない」と監督。そこでビリーが言う。「オファレルさん、失礼だけど、それじゃまるで小学生だ」。当然、監督は怒る。「おい、いいか、たわ言はもうたくさんだ」「オーナー・ボックスで ガキ同志遊んでるのは、構わん」「だが、俺の部屋や更衣室やグランドには近づくな」「分かったか?」。「はい、監督」とビリー。「じゃあ。砦ごっこでもして来るんだな」。ここでビリーがにんまりして言う。「もっといいこと思いついた」。そして、監督はクビに。
  
  

しかし、後任の監督が全く見つからない。リトル・リーグの仲良し3人組で悩みを打ち明ける。「まともな監督なら、子供の下なんかで働かない」。それを聞いた、チャックが「君がやれば?」とさらりと言う。「ふざけるなよ」とビリー。ジョーイも「いや、すごくいい」と賛成する。「監督って大変なんだぞ」と反論するものの、押し切られた形で、やる気になる。そこが、現実と映画の違い。
  

ゼネラル・マネージャーとヘッド・コーチの前で、ビリーが宣言する。「僕だ」。「何だって?」。「僕だよ、自分でやる」。「ビリー、笑い者になるぞ」とマネージャー。「勝っても?」。「なあ、真面目になれ」。今度はコーチが、「経験がないと、作戦は立てられん」。「分かった。試して」。そして、コーチが仮想的な試合の状況を作り、監督ならどうすると質問する。その答えは、コーチの想定の一歩先をいく鋭い采配ぶりだった。満足げなマネージャー。監督としての素養がありそうなので、万年ビリのチームにとって、すごい宣伝効果になると踏んだのだ。ビリーは、定例記者会見の場で、「今から すごいことを話します」と口火をきる。「野球は子供ために作られ、大人がダメにした」との名言を引き合いに出した上で、「そのことを考慮し、僕はミネソタ・ツインズの新監督に、自分を指名することにしました」「明日の夜の試合から有効です」と宣言する。報道陣は大騒動。
  
  

選手の反応は全く違っていた。子供に監督されるなんて、プロのプライドが許すはずもない。「ガキの下でプレー? 作戦はどうすんだよ?」。しごく当然の反応だ。四面楚歌の中、ビリーはこう発言する。まず、チームを「スピードも、守備も、ピッチングもいい」「全部ある。絶対に勝てる」と褒めた上で、「こうしよう。みんなは2週間、がむしゃらにプレーする」「その後で、僕の監督法が気に入らなくて、勝てなかったら… 僕は自分から辞める」。そして、いざ試合に。ビリーは、データに基づいた緻密な采配をするが、サインを無視する選手が出るわ、往年の名選手をピンチヒッターに使っても三振、リリーフ・ピッチャーは降板拒否。結果は、5試合連続の1点差負け。
  

ロッカールームで、「ガキが監督じゃ、勝てっこない」と言う選手に対し、「ジャクソン監督でも勝てなかったよね」「オファレル監督でもダメ」「問題は僕じゃない」「きっと、楽しさを忘れちゃったんだ」「分かんないかな? みんなは毎日、野球がやれるんだよ」と鼓舞した後で、「いいかい、これからは、勝ち負けを気にするのはやめよう」「楽しんでプレーしよう」「エラーしても忘れちゃう」「三振しても気にしない」「元気いっぱいやろう」と思い切った提案をする。ビリーの試合運びも、より楽しいものに。思いもしない突飛な作戦が成功し、選手の起用の当たりに当たり、破竹の6連勝。勢いに乗って、飛行機に乗ってビジターでの試合に臨むことに。そこは、ビリーにとって初めて、誰からも拘束されない自由な世界だった。
  

ホテルでは、選手の部屋に集まって窓から水風船落とし、ホテルに入ろうとする他の選手の頭に落下させる。「何でミスるの?」。「風の影響を入れないと」。自分の部屋に戻ると、アダルトビデオが見放題。友達に早速電話をかけて、「一晩中、部屋で見れるんだ」「誰にもバレないし」。とこがそれは大間違い、後から母親にホテルの請求書を突きつけられ、「3日で11回? いい映画だったでんしょうね」と皮肉られる。それに、試合の最中も、寝不足でこっくりする始末。しかし、最後まで不従順だった救援投手に対し、切れたコーチが「トレードだ」と怒鳴ると、ビリーは、「フリーエージェントだろ」「アウトも取れない役立たずのピッチャーの相場は?」と言って戦力復帰させるあたりは天才的。
  
  

監督生活は、ビリーにとって厳しいものだった。家にいても友達と遊んでいる時間がなくなり、疎遠になってしまう。尊敬していた名選手が代打でも通用しなくなり、部屋に呼び出して放出を通告した時は、特に辛かった。うっぷんが溜まり、ちょっとしたミス・ジャッジでも審判と大もめ。「最低の判定ミスだ」。「お前、何様だ」。「何だよ、この大間抜け」。「口先だけの青二才め! 俺がキレる前に消え失せろ!」。「やれよ、キレろよ。青筋立てろ、この豚野郎!」。「退場だ!」。「なら、放り出せよ。このデカイ どメクラ!」と子供らしさがなくなってしまう。主砲のルーが不振だと長期にわたりベンチ入りさせ、全力で走らないロニーには500ドルの罰金。そして試合も負けがこみ、イライラが増していく。
  
  

転機は、長距離バスの中で、本来は仲良しの主砲ルーに「俺にこう言った監督がいた。“何があろうと野球を楽しもう”と。一緒にプレーするのが好きだった」と言われたこと。もう一つはシカゴで野球遊びをしている子供たちに会い、「ねえ、一人欠けてない?」。「やりたいの?」。「ちょっと待って。ビリー・ヘイウッドじゃないの?」。「だったらいいけど」。「待って、本物だよ」。「みんなそう言う。でも、本物だったら、こんなトコで何してる?」と言い逃れてプレーした「子供らしい純真な野球」が、実に楽しかったこと。そして、最後は母との会話。「変な年だった、よね?」。「ええ、少しばかり」。「あまり巧くこなせていない、よね?」。「あのね、まだ12才だってこと、忘れないで」「何も助けてあげられないけど、これからもずっと大好きよ」。
  

こうして、元に戻ったビリー。ペナントも最終局面を迎え、選手全員の前で謝る。「よく聞いて。僕のヘマだ。勝つことにやきもきして、楽しむことを忘れてた。これじゃ、みんなだって楽しいハズがない。ごめんなさい」。ツインズは土壇場で4連勝し、ワイルドカードを賭けてマリナーズと戦うことになった。
  

その前夜、ピッチャーズ・マウンドで一人考え込むビリー。ルーに呼ばれた母が心配して一緒に座ると、「おじいちゃんのこと、考えてた」「おじいちゃん、きっと 喜んでるよね?」。「喜んでるわ」。「ママ… 大人は、疲れちゃった」。
  

シーズン最後の大勝負。しかも、延長戦の10回表。この日大活躍のケン・グリフィー・ジュニア(本人)がバッターボックスに立つ。そこでビリーが指示する奇策。コーチに向かって「マック。面白いでしょ」。コーチは「まぁいいか… どうせ、変なシーズンなんだ」。フォアボールで出塁したケンに牽制球を何度も投げ、失投したと見せかけ、ケンに盗塁させる作戦だ。しかし投手は投げたフリをしただけ、一塁手は球を逸らしたフリをしただけ。実際は投げずに持っていたボールを2塁に投げてアウト。10回の裏、走者1塁で主砲ルー。ホームランで逆転のチャンス。そこで奪三振王ランディー・ジョンソン(本人)の登場。ルーの本塁打性の打球は、惜しくもダイミング・キャッチしたファインプレーに阻まれて、試合に負けてしまった。
  
  
  

全員引き上げたロッカー・ルームで、ビリーは選手たちに「来年がある」「チームは変わった」と言った後で、「僕はやめる」「もっと釣もしたいし、リトル・リーグもやりたい」と辞意表明。寂しがる選手たち。そこにグラウンドから知らせが入った。ホームでの最終戦だったので、毎年最下位のチームをここまでにしてくれた監督を讃えたいと誰も退席せずに待ってるというのだ。満員のファンを前に帽子を高く掲げて挨拶するビリー。
  

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